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府内 (豊後国) : ミニ英和和英辞書
府内 (豊後国)[ふない]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うち]
 【名詞】 1. inside 
: [のち]
  1. (n,adj-no) afterwards 2. since then 3. in the future 
: [くに]
 【名詞】 1. country 

府内 (豊後国) : ウィキペディア日本語版
府内 (豊後国)[ふない]
府内(ふない)は、大分県大分市中心部の明治時代初期までの旧称である。府内は、豊後国国府であり、府内藩藩庁である府内城が置かれた城下町であった。
== 古代・中世 ==
古代には、豊後国の国府は、現在の中心部からやや南側にあたる大分川沿い(現在の古国府付近)にあったと推測されている。
鎌倉時代に入ると、大友氏が豊後国守護に任じられ、第3代当主大友頼康1222年(貞応元年) - 1300年(正安2年))の時代に豊後国に下向して土着した。この頃、府内は府中と呼ばれていた。1242年(仁治3年)には頼康が府中に新御成敗状を発布し、押買や大通りでの通行妨害を禁じていることから、当時の府中は商業活動が盛んな活発な町であったことが窺える。
現在の大分市中心部の南側に広がる上野丘陵北部には上原館(うえのはるやかた)と呼ばれる大友氏の居館跡が残っており、その土塁の跡から、かつては四方に高さ約2m、幅約8mの土塁が巡り、その外側には一部に堀が設けられていたと考えられている。この館の築造については、鎌倉時代後期に第7代当主大友氏泰1321年(元亨元年) - 1362年(南朝:正平17年、北朝:貞治元年))によって築かれたとする説をはじめ諸説がある。この館は、1597年(慶長2年)の府内城築城まで存続していたとされる。
上原館はかつては大友氏の中心的居館と推定されていたが、1990年代後半からの調査で、上野丘陵北東の平地部に大規模な居館跡(大友氏館跡)が発見された。この遺跡からは、15世紀から16世紀にかけての庭園遺構や整地層、掘立柱建物跡等が発見されており、大型の建物の存在が推定されている。これらの発掘の成果から、大友氏館は一辺約200メートルの守護館であったと推定されている〔大友氏遺跡事業 - 大分市〕。中世の海岸線は現在よりも内陸に入り込んでおり、府内は大分川の左岸河口に位置していたと考えられている。
上原館の北東、大友氏館の南東の大分川沿い(現在の元町)には、大友氏の菩提寺である万寿寺があった。この寺は1306年(徳治元年)、第5代当主大友貞親1246年(寛元4年) - 1311年(応長元年))により建立された臨済宗の寺院で、天下十刹にも列せられた大寺院であった。
大友氏館跡及び万寿寺跡は、大友氏遺跡として国の史跡に指定されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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